2005年4月23日

今年のミュンヘンは、4月末としては例年になく気温が低く、いまだに朝夕は冬のコートに手袋が必要です。ただしドイツ人の中にはすでにTシャツ姿で歩いている人がおり、温度感覚の違いを感じさせられます。もっとも、道に雪や氷はないので、ジョギングはしやすくなりました。

最近日本の歴史認識に関する論争を見ていて、あることに気がつきました。ドイツ人は、日常生活の中で、なかなか自分の非を認めたがらず、めったに謝ることのない民族です。しかし、ことナチスの問題については過去30年間にわたり、ことあるごとに謝り続けてきました。

これに対し、日本人では日常生活の中では、自分の非を認めて謝ることが美徳と考えられています。しかし、こと歴史認識の問題になると、「なぜいつまでも謝り続けなくてはいけないのだ」という態度を取り、首相がわざわざ靖国神社に公人として参拝して、中国や韓国の神経を逆撫でしています。

個人と国家のレベルで、謝罪に関する態度が、日独の間で180度異なることは、興味深い現象です。日本が国連安保理の常任理事国になりたいのならば、また中国との経済関係を大幅に拡大したいのならば、なぜ外国を怒らせるようなことを、あえてするのでしょうか。

会社で上海出身の中国人に会いました。もちろん歴史認識について議論はしませんが、むこうが日本人をどう思っているか考えると、あまり良い気持ちはしません。海の外で、歴史認識について日本に対する目が厳しくなっていることは事実です。昨日もFAZ紙の東京特派員が、「新しい歴史教科書を作る会」について、長文の記事を発表していました。こうした記事によって、ドイツの指導層の日本に関する意見が形成されていくのです。